新花塩駅北口ぶらりお散歩案内所!

鉄道乗りつぶしや聖地巡礼(アニメ舞台探訪)をライトに楽しむ、うるっちのブログです。

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10時になる頃合いを見計らって、鴨川沿いを少しずつ北上していきます。

朝早くから歩き回って、そろそろ足の疲れも出てきた頃です。


京都市を何度か訪れてつくづく感じるのは、これだけ世界的な観光都市でありながら、「鉄道で移動する街ではない」という意外性です。


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京都市中心部の鉄道網を改めて確認してみると、東西方向が地下鉄東西線、阪急京都線、そして嵐電。
南北方向が京阪、地下鉄烏丸線、あとまぁJR嵯峨野線(山陰本線)を含めるかどうか。

路線の絶対数も少ないし、会社もバラバラです。

そもそも、京阪や阪急は大阪に行くための電車であって、「市内の地下鉄」という感覚でちょっとそこまで使うための路線ではありません。


なぜ、市内の鉄道移動がこれほど不便になっているのか。

きっかけを推測するならば、ひとえに京都市電の廃止でしょう。


日本の各都市にある地下鉄は、概ね、路面電車を地下に移した経緯をもつものが多いです。

京都市電を運営していた京都市交通局のページを調べてみると、1961年当時の京都市電の路線図が載っていました。最盛期に近いのでしょうか。

碁盤の目の道路に沿って、縦横くまなく結んでいます。しかも市電ですから、さまざまな方向に乗り入れていたんでしょうね。

驚いたことに、果ては伏見区の中書島まで延びる、京阪と競合する路線も見られます。
そして、この路線、京都市電伏見線こそが、日本初の「電車」であったそうです。


地図と照らし合わせれば、金閣寺・銀閣寺ブラザーズはもちろん、修学旅行などの定番スポットはほとんど網羅しています。

ifその1として、たとえ路線数や駅(電停)を多少間引いてでも地下鉄になっていれば、どれだけ便利だったことでしょうか。

じゃあ、なんでそうならなかったか。


これは単純な話で、「掘れないから」ということでしょうね。

1000年超の歴史を持つ京都は、「どこを掘っても何かしら出てくる」土地だと聞きます。

実際、烏丸線と東西線だけでも相当大変だったらしいです。

「何か眠ってる古都」京都、シールド工法なんてもってのほか。

いちいち発掘調査をしないと工事が進められないので、金はかかるわ時間はかかるわ…。


ifその2、身も蓋もないですが、「路面電車をそのまま残す」という選択肢もありえたはずです。

正直、私は当時の京都市の交通施策が本当にベストな選択だったのか、疑問視しています。


確かに、「時代は地下鉄、路面電車は古い」という風潮も全国ではびこり、同時に車社会としての発展が各地で進んでいたのは分かります。

でも、京都市は仮にも「古都」なんだから、掘ればいろいろ出てきて、地下鉄なんか満足に掘れたもんじゃなかったことは自明だったはずです。
実際、そっくり碁盤の目に地下鉄を通す気は京都市には端からなかったと思います。

路面電車の廃止は、モータリゼーションの波に押されたのが原因だと言います。

それなのに、地下鉄はちょっとしか掘れないからあとはバスで代替する、という理屈には、根本的に矛盾がありはしなかったでしょうか?


普通鉄道ほどではないにしろ、優れた定時性やランニングコストに目を向ければ、路面電車は必ずしも悪者にはならないと思います。

当時何を血迷って併用軌道への自動車侵入を解禁したのかは疑問ですが。


幸いにも、最近はLRTという交通システムが世界的に関心事となっており、京都市でも過去に社会実験が行われたと聞きます。

軌道から改めて敷き直すというのは京都市の財政上相当に厳しいと思いますが、路面電車自体の付加価値も高まりつつある今、街のさらなる魅力向上にもつながる路面電車の復活が、より深く検討されるといいなと期待しています。



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鴨川デルタを越えると、いよいよ今回の目的地の一つ、出町桝形商店街が見えてきました。

そもそも「出町柳」という駅名は、鴨川の西岸の「出町」と、東岸の「柳」の合成地名なんですね。

したがって、ここに行くときはあえて「『出町』に行く」と言うとそれっぽいかもしれません(どれだよ


というわけで、この辺で一旦記事を分け、次回は出町桝形商店街の探訪話をば。

へつづく)
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