電光掲示板には、東北本線黒磯-郡山が大雨のために運転を見合わせていることを告げる案内が流れていました。行程に支障が出ないことを願いつつ、先へ進みます。
なんとか降らずにもっていた天気は、ホームに上がったときには土砂降りとなり。

乗車する高城町行きが入線してきました。当駅であおば通行きと行き違いをします。

この車両は2WAYシート車両ですね。
混雑の程度などに応じて、ロングシートとクロスシートの切り替えが可能という座席です。仙石線といえばこれを連想する、という方もいるのではないでしょうか。
せっかくのこの車両ではあったんですが、松島海岸-高城町では車窓動画を撮影したかったので、ドア横に立ちます。
松島海岸→高城町で、左側の車窓を見ていると、真新しい線路が敷設されているのが確認できました。
2015年6月(予定)に仙石線が全線復旧するのに合わせ、近接する東北本線と仙石線の間を接続線で結び、直通運転を行うことが決定しました。この線路は、その直通運転を行う新系統、「仙石東北ライン」のために敷設されるものです。
仙石線の途中区間が分断されて以来、沿線の通勤・通学をはじめとする移動は、どうしても不便を強いられる状態でした。
もっとも、現在は東北本線・石巻線経由で、仙台-石巻をノンストップで結ぶ直通快速が朝夕に走っており、石巻という「点」で見れば、状況はいくらか改善されてはいます。
沿線の復興を後押しする意味も込め、仙石線の全線復旧に合わせ、仙台-石巻および復旧区間をさらに速く、快適に結ぼうというのが、この仙石東北ラインの計画です。
交流電化の東北本線と直流電化の仙石線では、当該区間を現在走っている電車では直通ができないため、仙石東北ラインには気動車を使用することになります。
小海線のキハE200形をベースとしたハイブリッド気動車、HB-E210系が導入されるそうです。
仙石東北ラインが、復興への道のりを照らす希望の一つとなってくれることを心から願います。

あおば通口の列車の現在の終点である、高城町に到着しました。
隣駅「手樽」を塞がれた駅名標に、言いようのない重い気分になります。

鉄路はまだ、ここから進めないままです。久しく列車の入っていない線路には雑草が茂り、これまで忍耐を迫られてきた時間の長さを物語っています。
赤信号が灯り続けているのは、来年の復旧へのせめてもの決意と思わせてほしい。

ここから、仙石線不通区間を走る代行バスに乗り換えるため、バス停まで移動します。
高城町駅前にはロータリーがなく、また大きな道路からも外れた位置にあるため、バスが乗り入れることができません。
大きな地図で見る
このため、高城町駅にあたるバス停は駅と大きく離れた、高城町中央公民館と「ホテル壮観」に挟まれた位置に設置されています。
駅を出て左の線路沿いの道を進み、線路をくぐるところで左折、ホテルの建物が見える角で右折するとバス停があります。
右折する交差点で、矢本(石巻)方面は横断歩道を渡らずに手前側、松島海岸(仙台)方面は横断歩道を渡って奥側に発着します。

駅からバス停については、道路上には特に案内標識が出ておらず、徒歩10分弱を要します。
道順としては決して複雑ではないものの、高城町での乗り継ぎは特段の事情がない限りおすすめできません。

仙石線の列車とバスの運転区間は図のようになっています。黒線が列車の運転区間、オレンジ線が代行バスの運転区間、青い駅が乗り継ぎ推奨駅です。
JR東日本では、バスがロータリーに乗り入れていて分かりやすい、松島海岸での乗り継ぎを推奨しています。
やむを得ず高城町で乗り継ぐ場合は、先ほどの地図を参考に乗り継いでください。

松島海岸からの矢本行き代行バスが、2台続行で来ました。
代行バスは基本的に「線路を走れない列車」と見なされます。したがって、原則として各バス停には、鉄道路線の当該駅に相当する営業キロがあてられ、鉄道路線の運賃・乗車券がそのまま適用されます。
ただし、東日本大震災の被害による不通区間には、代行バスが運行されている区間と、他社によるバスでの振替輸送が実施されている区間(私は特に「振替輸送バス」と呼んで区別しています)の2通りが存在します。
仙石線などは前者ですが、山田線では後者の扱いとなっており、JRの普通乗車券や18きっぷ等では利用できません。
このように、「不通区間のバス=代行バス」とは限らないため、当該区間を通る際は、事前によく調べてからの訪問をお願いします。
高城町からは、私を含め数人が1台目のバスに乗車するのみ。松島海岸から乗っている乗客も数えるほどしかおらず、この便に関しては1台でも事足りるほどに空席が目立ちました。
しかしながら、停車する各バス停では、極めてまばらとは言え確かに乗り降りがあり、地元にとって欠かせない生命線であることを実感します。

雨の中をバスが進んでいくにつれ、私はある直感を抱いていました。
先の震災のことを、私は半分も分かっていなかった。この場所に来もしないで、分かるはずがなかったのだと。
自分で何か大きなものを、新たに見つけたわけではありません。
ですが、テレビやパソコンの画面越しにしか見ていなかったときよりは、もっとずっと深い思いを抱いた気がします。そして、3年もこの思いを知らずにいた自分をひどく恥じました。
いや、一方では、それすらも周回遅れの理解なのかもしれない、とも思います。
特にこの近辺に住んでいる方のブログを読むと、街区造成の進捗状況とともに、街の再スタートへの希望に満ちた記事を書いている方もいます。

車内からも、仙石線新線の高架を確認することができました。
ありきたりな表現ではありますが、これが必ずや沿線復興への架け橋となってくれるはずです。

東京で「分かったつもり」で過ごしてきた私は、3年も経った今頃になってこんな感情を抱いている。そのことを、被災地に暮らす方々に詫びたいです。
そして、どれだけ精細な映像を画面で見られるようになったとしても、それでも実際に自分で見ることにこれほどの意味があるのだということを、もっと多くの人に知ってもらいたいと思いました。
運転手さんの「まもなく野蒜です」のアナウンスとともに、左手に ひと気の失われた野蒜駅のホーム跡の姿が目に飛び込んできました。
それを見たときには、思わず胸が詰まりました。

いつか写真で見た、歪んで倒れた架線柱などは既に撤去され、以前ほどショッキングな姿ではなくなったのだと思います。
それでも、当たり前に使われていた駅や、そこに息づいていた人々の日常が、どうして奪われなければならなかったのか。そういう感情が一気にこみ上げてきたのです。
自然の猛威に、理由など求めてはならないことも、一方では分かります。
だからこそ、この旅で抱いたやり場のない気持ちをしっかり憶えておこうと、私は自分自身に誓ったのです。

高城町から20分強で到着した陸前小野で、私は代行バスを降りました。またきっと、鉄道で訪問できることを願って。


この先、仙石線の石巻口では、矢本-石巻の列車が中心となっていますが、一部の列車は陸前小野まで乗り入れています。

ホームから野蒜方面を見ると、2015年6月に開通する予定の新線へ、線路が伸びていく様子が見えました。


仙石線の石巻口は、暫定的に気動車のキハ110により運転されている状態です。
乗車する列車は、陸羽西線仕様のキハ110を4両つないでいました。
時刻は17:30を回り、次第に日も暮れてきました。鉄路がつながる安心感をかみしめ20分、石巻はもうすぐそこです。

18:03、無事に石巻に到着しました。この日の移動はこれで終了です。
さて、石巻に来たからには、やっぱり石巻焼きそばを食べてみたい!
石巻駅前の「たこ焼 くるるん」さんでいただくことにしました。

目玉焼きを乗っけるのがポイント。また、麺は焼く前に二度蒸しするため、調理前から茶色いのが石巻流なんだそうです。
素直な味わいの中にしっかりした深みがあり、元気が出ます。これで翌日も頑張れそうです。ごちそうさまでした!
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