新花塩駅北口ぶらりお散歩案内所!

鉄道乗りつぶしや聖地巡礼(アニメ舞台探訪)をライトに楽しむ、うるっちのブログです。

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日根野から今度は紀州路快速で和歌山へ向かいます。ラッシュ時の紀州路快速は和歌山まで通過運転を行いますが、日中は日根野以南は各駅に停車し、そのまま普通列車の代替となっています。
A線系統ばかり使う身としては、223系といえば1000番台以降の4つ目顔のほうが馴染み深いですが、223系のプロトタイプはこっちの2つ目顔なんですね。


ところで、ネット上にはかなり昔から「また阪和線か!」というテンプレが存在します。
周辺の各線と比べ、阪和線は慢性的な遅延が著しく目立ち、運行情報を見ると何かにつけて阪和線が遅れている、という利用者の感覚から生まれたものです。

私は関東在住なので、実際のところそんなに際立ってひどいのかという実情はなかなか確かめがたいのですが(今回も完璧に定時だったし)、阪和線が置かれている環境についてちょっと考えてみます。

まず、何と言っても本数の多さがあります。
天王寺基準で見ると、阪和線は日中でも1時間に特急2~3本・快速系8本・普通4本で、計毎時14本前後の列車を複線でさばきます。
同じく天王寺を発着する大和路線は毎時10本かつ特急無し。A線は大阪基準で毎時16本前後ですが、あちらは複々線が完備されているため、阪和線は単純計算でA線の倍近い密度の列車をさばいていることになります。

加えて、関西圏のJR特有の事情として、大阪環状線などを介した複雑な乗り入れにより、広範囲で遅延の影響を与えやすく、同時に受けやすくなっているという一面もあります。
関東も湘南新宿ラインに加え上野東京ラインができて、他人事と思えなくなってきた節はありますが(

さらに、先ほど乗った関西空港線には4km弱にも及ぶ長大な海越え区間があるわけで、当然ながら気象条件に対し極めてデリケートとなります。

このように、遅延を引き起こすと考えられる要因が一通り揃っていることから、ある意味遅れやすい宿命を持った路線と言えそうです。

ただ、最近では高架化や待避・折り返し設備の増設といった投資がかなり積極的に行われていて、つぶせる遅延要因は着実につぶされてきています。

2013年9月定例社長会見 -JR西日本

関東でも京葉線で防風柵の設置が進んだ結果、運転見合わせ時分を実に60%以上減らすことに成功し、風に弱いイメージを払拭しつつあります。
阪和線も地道な対策を進めることで、利用者の間で少しずつ「遅延に強い路線」というイメージに変わっていくことを期待したいです。


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大阪府と和歌山県の境には和泉山脈が走り、県境越えの区間では、車窓は非常に山深いものとなります。

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写真にホームがチラッと写っている山中渓までが大阪府の駅です。駅周辺はこのように鬱蒼としています。
近くに山中渓温泉というのがあるらしいのですが、なんと旅館や浴場は全て廃業しているそうです…。怖い。

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山越えを終え、紀の川を渡れば、和歌山はすぐそこ。

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16:37、終点の和歌山に到着しました。


和歌山市内には中心駅が2つあります。
一つがこのJRが構える和歌山駅で、もう一つが南海が構える和歌山市駅(通称「市駅」)です。
で、この2つのターミナルはJRの紀勢本線によって結ばれています。

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JR西日本では、紀勢本線に「きのくに線」という愛称をつけ、ほぼ常にこの愛称で呼ばれています。
ところがよく見ると、和歌山-和歌山市の区間だけは単に「紀勢線」と呼ばれていることに気づきます。きのくに線の路線記号「W」の区間からも外されてしまっていて、ラインカラーもついていません。完全に支線扱いなんです。

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車両はこちらの105系が行ったり来たりするだけ。しかも、日中はなんと毎時1本しか走りません。
この区間がもっと市内中心部を通るルートだったら、LRTっぽくして毎時4本ぐらい走る未来もあったように思うのですが、それは叶わぬ望みでしょう。


和歌山-和歌山市の所要時間はおよそ6分です。

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終点の和歌山市に到着。駅名標は完全に南海仕様です。ここにもNK45って書いちゃうんですね(
国内に数ある「○○市駅」の元祖だそうです。

乗り換え案内の通り、南海はここから和歌山港まで路線を延ばしており、そのままフェリーに乗り継げば徳島に上陸することができます。
電車とフェリーをつなぐ企画乗車券も安く、高速バスが存在感を高める今の時代でも、難波-和歌山市-徳島というルートは割と普通に使われていそうです。

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隣のホームには南海7100系の加太行きが止まっていました。

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さて、写真からお分かりでしょうか。いかにJRが「間借り」感満載であるか。
7番線まである(1番線は撤去済みで欠番)広い和歌山市駅の中で、JRのスペースは本当にここだけです。豊橋の名鉄の陣地よりも狭いです。いくらなんでも影薄すぎでしょう…w


南海電車もいろいろと観察してみたいところではありますが、折り返しの電車も少ないのですぐに和歌山に戻ります。

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今度は9番のりばを発着する、和歌山電鐵貴志川線に乗ります。

この路線は2006年まで南海の路線でした。つまり和歌山市駅と逆に、和歌山駅でもJRの構内を南海が間借りしている時代があったんですね。
経営上の負担が大きかったことから廃止されようとしていたところ、利用者の存続運動が実を結び、岡山電気軌道の出資で新しく会社を立ち上げ、鉄路を存続させた経緯があります。

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車両は南海から譲渡されたものが塗装を変えて使われ、一部の駅名標にも南海時代の名残が見られます。

窓口で1日乗車券を買い求めようとすると、駅員さんに「猫は引っ込んじゃってますがよろしいですか?」と尋ねられました。
今やニュースで全国的に知られている通り、貴志川線といえば猫とともに再生を遂げてきた路線であり、やはり観光客の多くは猫に会うために訪れるようです。

車内の座席は概ね埋まりました。地元の利用者と思しき乗客の次に多かったのは中国人の団体で、海外からの旅行者でもアンテナの高い人はとことん高いもんだなと感心しました。

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竈山。昨年夏に通った塩竈には「竈」の字を使う駅はありませんでしたが、思わぬところで「竈」の字を見つけました。

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ずいぶんとローカルな車窓になってきました。
和歌山から10kmちょっとしか離れていないのにこのローカルっぷりです。つくづく、よく鉄道が生き残ったものです。


和歌山から30分少々で、終点の貴志に到着しました。

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2010年に猫の顔をイメージしたユニークな駅舎が完成し、話題となりました。
率直に言って若干怖いのですが、ヒノキの皮で屋根を葺く日本の伝統的な建築法を現代に融合したものとなっています。


たま駅長の存在なくして、貴志川線の再生を語ることはできません。

貴志川線が南海の路線だった頃、南海社有地内の小屋で暮らす猫がいました。貴志駅に隣接する売店のご主人の飼い猫でした。
和歌山電鐵への移管後、貴志駅周辺の再整備の過程で猫小屋の場所が公道となったため、猫小屋を置いておくことができなくなったことが全ての始まりです。

和歌山電鐵の社長は駅舎内に たまたちの居場所を提供するとともに、住み込みで働いてもらうことを提案、そのまま採用となりました。
折しも経営合理化で貴志駅は無人化され、図らずもたまが駅長のポストに就くことができた所以でもあります。


その話題性は凄まじく、貴志川線の業績は南海時代から見違えるように向上し、功績を認められたたま駅長は最終的に社長代理を務めるまでになりました。


高齢になりつつあったたまは鼻炎などの闘病を続けていましたが、2015年6月22日、16歳で亡くなりました。
人々の注目を浴び、ストレスも多かったでしょうが、人間でいえば80歳の天寿を全うしてくれたのが救いです。

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たま駅長は現在、ホーム上のお社で「たま大明神」として祀られ、貴志駅の1日を見守っています。

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私も家で三毛猫を飼っていて、6月のたま駅長の訃報にはいろいろと思うところがありました。
いつか会いに行きたいと思いながら、とうとう会うことは叶いませんでしたが、せめて手を合わせに行きたいと、今回どうしても貴志駅に来たかったという思いがありました。
こうして手を合わせることで、いつまでもみんなに幸せを呼ぶ招き猫でいてほしいと願いました。

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2015年8月より、たまⅡ世(ニタマ)駅長が業務を引き継いでいます。
私が訪れたときは業務時間外でしたが、たま駅長に鍛われた駅長力を発揮し、これからも観光客を出迎えてくれることでしょう。


和歌山に戻る頃には18:30を回り、夕食のお時間とすることに。
和歌山駅ビル地下1階にある「丸美商店」で和歌山ラーメン(正確な呼称では中華そば)をいただきました。

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見た目はかなり濃そうに見えますが、味はその真逆で、極めて薄味であっさりです。
麺は非常に軟らかく、何というかまさに博多の対を行く感じ。あっ、中華そばか。

面白かったのが、どうやら和歌山では中華そばと一緒に寿司を食べる習慣があるみたいなんです。「早なれ」と言って、サバのいわゆる押し寿司です。
誰が注文したわけでもない、最初から作り置かれた寿司がカウンターに置いてあるんです。
基本的にはそこから「ひょいぱく」という形になり、置いてなければ注文するというのが通例のようです。で、会計で食べた個数を伝えてお支払い、というわけ。

今回は中華そばを大盛りにして堪能したので、次回は寿司とのコンボに挑戦してみたいです。


いつもの流れなら、このまま和歌山で1泊ということになるのでしょうが、今回はこの日のうちにもう少しだけ足を伸ばしておきます。ある事情がありまして。

きのくに線は御坊とか紀伊田辺あたりまでは和歌山都市圏ということで、そこそこの本数が走っています。
ところが対照的に、紀伊田辺以南の接続がびっくりするくらい悪い。というよりも、本数自体がほぼ3時間に1本という衝撃の少なさ。

普通なら和歌山から始発(321M)に乗る行程で問題ないんですが、途中の御坊から紀州鉄道という私鉄が延びていて、もちろんそれを乗りつぶさないといけません。
仮に和歌山から乗った321Mをこれのために御坊で乗り捨ててしまうと、紀伊田辺で11時前まで足止めを食らうことになり、それ以降名古屋までほぼまっしぐらで行かないと、「ムーンライトながら」に間に合わなくなってしまうのです。

そこで、御坊で1ヶ所だけ空きを見つけた宿をとり、翌朝に紀州鉄道を乗りつぶしてから同じ321Mをつかまえる作戦を立てました。
これなら紀伊田辺での待ち合わせは4分で済み、10:40には新宮までたどり着けるので、それ以降余裕を持って寄り道ができるのです。

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2日目最後に乗車する19:57発の紀伊田辺行きは、学生が続々と乗り込んでなかなかの混雑です。

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21:04、御坊に到着し、2日目の行程が無事終了。波乱の1日目とは打って変わり、何もかもが順調でした。
御坊の街は街灯が異常に少なく、宿までの道がなかなか怖かったです(
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